貴方の見ているドメインは
このページについて
と、練吉はわざとらしく顔をしかめてみせた。
「便所に化物が出たそうです。」
「すまんでしたな、長話をして」
その時やつと、男は少しうなづいた。そして背中に負はれて出て行つた。
もともと口下手ではあつたが、まだ舌がもつれる風で、一口ごとに息をついて云つた。
「あ、さうだ。お茶、お茶。おい、お茶を出してくれ」
「さうかね、梨地へ行くんなら、やつぱりこゝを渡つた方が近道だ。井出下の渡しはもうないからね」
「それあ、もう、掘つても掘つても屑みたいなものしか出ないつて云ふんだがね。まあ、天領の時分に良いところはそつくり掘り上げてしまつたんだらうね。その山をまだ見所があるつて云ふんだから、あてになるやうなならんやうな話だあね」
それは直造が案内状を出す間際になつて心づき、入念に考へたあげくに呼ぶことにした高間房一だつた。
だが、さう云へば、一歩いちぶ非の打ちやうのない正文に練吉のやうな息子ができたこともふしぎにちがひない。事実、当人の練吉さへ、自嘲めいて時々さう口にするのであつた。
盛子は笑ひながら顔を紅らめた。
その時、又あの鈍い重量のある音が下流の方からどよめいて来た。それは前のよりもはるかに大きく、つゞけさまだつた。
客の心持が変ると共に、温泉宿の姿も昔とはまったく変った。むかしの名所図会めいしょずえや風景画を見た人はみな承知であろうが、大抵の温泉宿は茅葺屋根であった。明治以後は次第にその建築も改まって、東京近傍にはさすがに茅葺のあとを絶ったが、明治三十年頃までの温泉宿は、今から思えば実に粗末なものであった。